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大阪高等裁判所 昭和38年(ネ)345号 判決

控訴人 昭和電工株式会社 外一名

参加人 林燈山

被控訴人 林進堂

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人林進堂の請求をいずれも棄却する。

控訴人昭和電工株式会社は、参加人に対し、金二三〇万円及びこれに対する昭和三四年七月三一日から右支払いずみまで、年六分の金員を支払え。

控訴人河西化工株式会社と参加人との間において、参加人が「振出人昭和電工株式会社、振出日昭和三四年三月三一日、金額二三〇万円、満期同年七月三一日、支払地東京都千代田区、支払場所富士銀行、振出地東京都港区、受取人河西化工業株式会社」なる約束手形につき、その手形債権を有することを確認する。

訴訟費用ならびに参加の費用は、全部控訴人らの負担とする。

本判決は、第三項にかぎり、参加人が金六〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

控訴人らは、「原判決中、被控訴人の控訴人河西化工株式会社に対する第一次請求を棄却した部分を除き、その余の部分を左の通り変更する。被控訴人の控訴人昭和電工株式会社に対する請求及び控訴人河西化工株式会社に対する予備的(第二次・第三次)請求をいずれも棄却する。訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人等の負担とする」との判決を求め、更らに、参加人林燈山は、民事訴訟法七三条による訴訟参加を申立て、その理由として、「被控訴人林進堂は昭和三八年五月二九日死亡し、参加人等一一名が相続人としてその権利を承継したところ、昭和三八年一一月二二日参加人林燈山がその余の承継人らの右権利全部を譲受けた。」と述べ、請求の趣旨として、第一次的に「控訴人昭和電工株式会社は参加人林燈山に対し、金二三〇万円及びこれに対する昭和三四年七月三一日から支払いずみまで年六分の割合による金員を支払え。控訴人河西化工株式会社に対する関係において、控訴人昭和電工株式会社が昭和三四年三月三一日振出した金額二三〇万円、満期同年七月三一日・支払地東京都千代田区・支払場所富士銀行・振出地東京都港区・受取人河西化工株式会社なる約束手形一通につき、参加人林燈山が手形債権を有することを確認する。訴訟費用は控訴人等の負担とする。」との判決ならびに右金員支払い及び訴訟費用負担部分につき仮執行の宣言を求め、第二次的に、「控訴人両名との関係において、控訴人昭和電工株式会社が控訴人河西化工株式会社に宛て昭和三四年八月一一日供託した東京法務局昭和三四年度金第一九六七五号供託金二三〇万円及び昭和三六年四月一八日供託した同法務局昭和三六年度金第二六八六号供託金四五三七円につき、いずれも参加人林燈山が還付請求権を有することを確認する。控訴人等は、参加人林燈山に対し、右各供託金の還付請求手続に協力せよ。訴訟費用は控訴人等の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述ならびに証拠の提出援用認否は、控訴人昭和電工株式会社(以下単に昭和電工という)において、

一、被控訴人林進堂が本件手形(原判決参照)を取得するについては、その前者が無権利者であることを知つていたか又は知らなかつたことにつき重大な過失がある。すなわち、右林進堂は手形取得の際振出の調査はしたかもしれないが、爾余の調査をしていない。本件手形の場合疑わしい徴候は振出よりむしろその後の移転過程に存するから、振出の調査だけでは足りないのである。取引の実態、例えば手形割引にあたり手形業者がどの程度に信用調査資料を利用するか、割引依頼があつてから現実の割引までの間にどの位の調査時間を必要としているか等の実体に徴すれば、本件取引がいかに異常な形で為されたものであるか明らかである。そして、本件手形を右林進堂に仲介した仲介業者国沢(関証)も決して信用ある業者とは言えない。関証は本件手形割引当時整理の段階にあつたのであり、その原因は手形事故による倒産であつた。しかも国沢は関証にあつて常務取締役営業部長として関証の主営業種目たる手形取引一切を担当していたのであるから、この事故は、いわば国沢の責任において生じたものであり、国沢自身の事故に等しく、国沢はこれと無関係ということは出来ない筈である。また国沢は現に加藤栄一のような不良業者と取引を続け、そればかりでなく、本件当時他にも手形事故を起し関係訴訟が係属中(最高裁判所民事判例集一四巻三二三四頁参照)であり、国沢の取引全般を眺めるとむしろ事故が頻発している観があり、これらの事実について単に同地区の同業者であるに止まらず、多年にわたり取引を続けていた前記林進堂が全く知らないなどという事は到底ありうる事ではない。かりに国沢と林進堂という特定当事者間の取引が無事故で経過したという事実があつたとしても、それは全くの偶然的出来事に過ぎず、それが国沢の客観的信用度を裏付けるに足るものではない。また本件手形を林進堂に持込んだ国沢自身が自己の信用によつて割引いてもらおうなどとは考えておらず、むしろ林が自分の責任で納得がゆくまでの調査をすべきであると考えていたのである。したがつて、林進堂が仲介業者国沢の信用に依存して自らの調査義務を免れ得るという考え方は成り立ち得ないところである。国沢は林進堂の本件手形割引に際し保証書(甲第三号証の二)を差入れているが、同保証書の記載中印刷による責任負担文言に続いて特にペン字で書加えられている「盗難詐取による事故の場合も同然」という文言部分は、保証書前半部分の記入と同時に(即ち割引時に)国沢によつて記入されたものであつて、このような保証書の差入による取引方法は、当該取引の業者の内部関係では、業者の責任保証による手形調査義務免除〈省略〉を意味するが、しかし、そうした内部関係が対外的に取引外第三者にまで主張し対抗しうるものではなく、それを以て悪意なしとの保証になるものでないのは当然である。

また、興信所報等民間信用調査団体の発行紙は、その内容の大部分が金融業者の信用調査に資する目的で作成配付せられるものであり、銀行の如く自己の完備した調査機関をもたない林進堂の如き街の金融業者にとつては、興信所報類が取引商品の価値を決定し、取引顧客の信用調査をするに際し殆んど唯一最大の情報源である筈である。したがつて、それらの業者はこれらを常時最もよく熟読する人達の一員であるから、これら業者が所報類を備え又は配付をうけ得る状況にあると認められる以上それを現実に見ているか、少くとも見ていないなら、重大過失ありと解すべきである。警察の品触れ(丙第一号証)にしても、丙第七号証三(1) に現れているとおり、四月一三日に作成され、全国の警察、金融業者、証券会社、質商に配付されていることは明らかであるから、よほど特別の事情でもない限りこの内容を林進堂が見て居ず、知りもしないということは到底考えられない。割合利率が低い等の点にしても不渡後の林進堂の挙動(山口証言参照)に徴すると、同人は事故手形を善意と称し半ば暴力的に取立てた経験上此手段をもつて成功する確信をもちその為調査も故意に省略し、ことさら善意を装つて本件手形を取得したと推認される。控訴人昭和電工大阪店の経理担当社員が本件手形の事故を知らなかつたのは、会社の組織上むしろ当然のことであり、林進堂は調査した外形を作出する為め故意に控訴会社の一部ではあつても実情に暗い部署に持込んだものと解されるのである。そして右大阪営業所の社員も単に会社の印影を確認しただけに過ぎず、それを以て流通過程の調査まで済ませたかの如く装うことは許されない。

二、本件手形の満期当時から前訴(京都地方裁判所昭和三四年(ワ)第九四九号約束手形金請求事件)の提起及び公示催告への権利届出に至るまで、証券所持人(権利者)と称して呈示し権利主張をしたのは「原治幸」である。しかも、実在の原治幸は世田谷区烏山町一〇七三番地に居住するその者であるのに(丙第六号証一〇、一一)、権利主張者の原治幸は「杉並区和田本町二六番地」のその者であり(乙第六号証)、更に杉並区の原治幸は仮名であつてその名を使用した実際の証券握持者は薜徳潤であるとさえ言われている。控訴人昭和電工が本件手形の支払呈示に対し弁済を拒んだのは、単に公示催告の申立がなされたことを知つていたからだけではなく、所持人と称して支払呈示をして来た者が前述のように正当な所持人であるか極めて疑問があり、当時の状況からして疑問を抱くことが客観的にも当然と認められる場合であつたからである。そして、このような場合の救済が民法四九四条(有価証券にあつては商法五一八条)になるのであり、支払呈示があつたからといつて、それだけで商法五一八条による供託が有効になされ得ないという理由はない。

三、後記参加人主張の事実(権利の承継ならびに譲渡)は、これを争う。参加人は同人ほか一〇名が亡林進堂の相続人としてその権利を承継したと主張するが、その承継関係が明白でない。すなわち、先ず相続人の範囲について、戸籍簿(甲第一二号証)には三名しか載つておらず、その余の者の続柄は領事館証明(甲第九、一〇号証)及び外人登録証明(甲第一三号証)に記載されているが、領事館がいかなる根拠に基づいてそれらの者の続柄まで証明し得るのか明かでなく、もし親権関係、出生関係、扶養関係等が届出られているものであれば、そうした事項を記載する領事館備付原簿(又は謄本)によつて明らかにさるべきである。甲第一三号証も、身分上の続柄まで証明する効力の有無は疑問である上、これで見ると三女二名、二男二名あつて、二女、三男が見当らないような記載となつていて、証明力が疑われる。更に参加人ら一一名が相続人であるとしても、これで全部であるかどうか明かにされていない。甲第一二号証によると、林進堂の戸籍には他に養女林瓊雲及び家族林勉の二名が登載されている。被控訴人ら提出の中国民法一〇七七条によると、養子も実子と同格の相続人とされて居るが、この者が承継人の中に入つていない。また、同じく一一四九条によると、同居人で受扶養者は皆相続資格ありとの事であるが、そうなると林進堂が果いて誰を同居させ、継続的に扶養していたか、右一一名以外にも居ないかどうかを立証する資料が提出されていないから、相続人の範囲は全く不明である。次に、各相続人の持分に関しても、何も示されていないが、継続的受扶養者に対する持分は法規により一律に決まるのでなく、親族会議の結果をまつてはじめて決せられるもののようであり、その結果が示されなければ全員の持分割合は確定せず、したがつてこれを譲渡したとあつても、いかなる持分が譲渡されたか知り得ない。

と述べた〈証拠省略〉

控訴人河西化工株式会社(以下単に河西化工という)において、

一、被控訴人林進堂が訴外木村慈男から本件手形を白地裏書により譲受けたとしても、その直後にこれを原治幸に隠れたる取立委任のため、木村のなした白地裏書のまゝ交付により譲渡し、同人はその支払期日(昭和三四年七月三一日)に東京都民銀行を通じてその取立をなしたところ、盗難の故を以て支払を拒絶され、その三日後の同年八月三日には、同銀行においてそのまゝ盗品として捜査当局に押収され(丙七号証の七の一、二、四参照)その後昭和三五年六月九日犯人木村は起訴され、同三六年二月六日窃盗、有価証券虚偽記入同行使詐欺罪として懲役二年六月に処す、本件手形中虚偽記入の部分(第一裏書)は没収する旨の判決言渡を受け、該判決は、木村の控訴取下により同年六月二〇日確定し、同月二三日本件手形の虚偽記入部分は抹消没収された後、被押収人に還付されたのであるが、その間原治幸は昭和三四年九月七日控訴人昭和電工及び木村慈男を被告として京都地裁に昭和三四年(ワ)第九四九号約束手形金請求訴訟を提起し、右事件は東京地裁に移送せられ、同庁同年(ワ)第八六四七号事件として審理せられ、同事件は昭和三五年六月二二日休止満了により取下げられ、その取下後一〇日を出でずして林進堂は本件手形の所持人として現われ同年七月一日本訴を提起したのであるから、原治幸から本件手形の譲渡をうけたのは同年六月二二日から同月末日までの間であると考えられる。被控訴人は、原治幸に対する本件手形の譲渡はいわゆる隠れた取立委任のための裏書譲渡であつて控訴人は取立の目的を達成することができなかつたから受任者原からこれを取戻したに過ぎないと主張するのであろうが、隠れた取立委任裏書も、裏書自体は通常の裏書であつて手形上の権利はその裏書により完全に被裏書人に移転し、手形面に現われない取立委任の合意はその裏書人被裏書人間の人的関係にとゞまるのであるから、その裏書人は被裏書人から当該手形の返還をうけても、それが償還による受戻でない限り、単なる裏書譲渡であつて、裏書人は裏書以前に有していた地位を回復するものではない。前述の経緯で、本件手形を取戻し、本訴を提起した林進堂及び譲渡人原治幸が、昭和三五年六月下旬当時において裏書人木村慈男が無権利者であることを知つていたことは明白であるから、被控訴人は悪意(もしくは重過失)ある所持人として手形債務者に対し手形上の権利を行使することは許されない。また、林進堂(被控訴人)の本件手形の取得は、前述のように戻裏書をうけたものではないから、同人はたとい以前に本件手形を所持していたとしても自己が裏書以前に有していた地位を回復するものではない。同人は、かつて、自己が手形面上被裏書人にも、裏書人にもなることなく、手形を原治幸に交付したのであるから、担保責任を負担せず、担保責任のないところ償還義務なく、償還義務を果たさざるところ、裏書以前の地位の回復はあり得ず、僅かに期限後に原治幸の権利を承継取得したにとどまり、その取得は、悪意、害意に充ちたものである。

二、後記参加人主張の事実(権利の承継ならびに譲渡)はこれを争う。

と述べた〈証拠省略〉

参加人において

1  被控訴人林進堂は昭和三八年五月二九日死亡し、参加人ら一一名が相続人として、その権利を承継した。

2  前記1のように参加人林燈山ほか一〇名が林進堂の権利を承継したが、その後林燈山において、その余の一〇名の各権利の譲渡を受け、その全部を承継した。

3  本件手形を林進堂に割引依頼をなした国沢庫太すら本件手形の盗難事故については全くその事実を知らなかつたのであるから、いわんや林進堂が右事故について知る由もなかつたのである。そればかりでなく林進堂は公然昭和電工大阪営業所に本件手形を提示して事故の有無を調査し、その無事故手形である旨の回答を信用し、確実に決済されるものと信じたが故に、業者間においては最低の料率である日歩四銭二厘の利率で割引いているのである。そして、振出人、受取人ともに東京都の遠隔地である本件手形(後記のように本件手形の控訴人河西化工の裏書は東京都の住所で行なわれていた)についての事故の有無を、最も直接的効果的に調査できる方法が、右のような振出人昭和電工大阪営業所への提示、照会の手段であつたのであり、同営業所の経理担当社員すら覚知しない本件事故手形について、被控訴人林進堂にその発生を予見し、あらゆる調査を遂げるべき注意義務があるとすることは、まさに手形取引を指名債権の取引と同一のレベルに置くものであり、暴論である。なお、本件手形の控訴人河西化工の裏書は、同会社の昭和二九年七月までの旧本店であり、かつ当時の東京営業所であつた「東京都中央区日本橋大伝馬町二丁目一の一」と極めて類似する「東京都中央区日本橋大伝馬町一の二」住所を表示して巧妙に偽造されていたため、昭和電工大阪営業所社員すら本件手形面からその瑕疵を発見することができず、被控訴人に対し、前記のように無事故手形である旨の回答を行つているのである。

4  本件手形については、その支払期日である昭和三四年七月三一日林進堂によつて適法に呈示がなされ、本件手形の現存することが明らかとなり、その時以降控訴人河西化工の申立てた公示催告手続はその効力を失うことが明白となつた。然るに控訴人昭和電工は、裏書の連続する本件手形の現存及びその最終所持人からの支払呈示の事実を無視して、その呈示後である同年八月八日になつて始めて行なわれた控訴人河西化工の供託請求に基いて、同年八月一一日東京法務局に対し、本件手形額面金額を商法第五一八条に基き供託したのであるから、このような供託によつて債務免責の効果を主張できないことは、極めて明らかである。

と述べた〈証拠省略〉

ほかは、原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

理由

控訴人昭和電工が昭和三四年三月三一日控訴人河西化工宛てに、金額二三〇万円、満期昭和三四年七月三一日、支払地東京都千代田区、支払場所株式会社富士銀行、振出地東京都港区なる約束手形一通を振出したことは、当事者間に争いがなく、被控訴人林進堂が後述のように本件控訴審係属中に死亡するまで右手形を所持し、同手形の第一裏書欄には、裏書人控訴人河西化工代表取締役河西信雄被裏書人木村慈男、第二裏書欄には裏書人木村慈男被裏書人原治幸、第三裏書欄には裏書人原治幸なる各記載ならびに各裏書人名下に押印が存し、第三裏書欄の被裏書人は白地であることは、甲第一号証の存在ならびにその記載及び参加人林燈山の当審における供述によりこれを認めることができる。

右事実によれば、被控訴人林進堂は、控訴人振出にかかる右約束手形(以下本件手形という)の裏書の連続ある所持人として、右手形上の権利の帰属が法律上推定せられるものであつたことが明らかである。

尤も甲第七号証(甲第一号証の裏書)の記載によれば、右手形第一裏書人記載箇所は朱線を以て囲まれ、その右方欄外に「判決年月日昭和三十六年二月六日、判決裁判所神戸地方裁判所、罪名有価証券虚偽記入同行使詐欺、右裁判により没収部分を朱線を以て表示する、昭和三十六年四月二十五日神戸地方検察庁検察官検事小村保秀」なる記載の存することが認められ、これと成立に争いのない甲第五号証の六(判決)とを照合すれば、右記載はその記載内容の示すとおり訴外人たる被告人木村慈男に対する有罪判決主文における没収の裁判の執行としてなされたものであることが明らかであるが、これは刑事訴訟法第四九八条に則る手続が行なわれたものであつて、同手続は当該裏書部分が真実にあらざる文書であるにもかかわらず真実の文書として流通することの危険を防止するため、同部分が真実にあらざる文書であることを公権的に明示するものであり、且つそれにとどまり、有体物そのものを破棄する趣旨のものではなく、現に本件手形に対してなされた右認定の書き入れも、当該裏書を抹消したものと認むべきでないから、本件手形の裏書の連続に欠けるところはなく、この点に関する控訴人らの法律上の主張は採用できない。また、成立に争いのない丙第五号証の二によれば、本件手形の満期当時の所持人は訴外原治幸であつたと認められ、したがつて、同人名義を以つてなされた本件手形の最終裏書は、いわゆる期限後裏書であると認められるが、期限後裏書といえども資格授与的効力を有すると解せられるから、かような裏書が介在しても、前述の所持人の権利を推定する前提事実たる裏書の連続に欠けることはない。次に、控訴人昭和電工は本件手形の最終裏書は手形交換印の押捺により、取立委任の裏書たることが手形面上看取できるから、裏書の連続を欠くというが、いわゆる白地式裏書においては、初めこの形式を以て第三者に手形を交付した後、同人からこれを回収した上、更に別の者に対し右裏書を利用してこれを交付することは適法になし得るのであり、その際第一の裏書交付は隠れた取立委任の目的であつたが、第二の交付は権利移転の目的でなさるべきこともあり得るから、仮令本件手形の最終裏書欄の後に取立受任銀行及び支払担当銀行の手形交換印が押捺されているとしても、それを以て白地式裏書が記名式に変つたとか、次の裏書欄に書き込みがなされたものと解することは出来ず、結局前記認定の裏書の連続を阻むものではない。

そこで、控訴人らは、被控訴人林進堂において、実質的に右手形上の権利を取得しなかつたと抗争するが、この点は、控訴人らがすべての主張、立証をつくさなければならないところである。

成立に争いのない甲第五号証の一ないし六、乙第八号証、原審証人江銘勝の証言により真正に成立したと認められる甲第四号証の一、二ならびに同証言、及び原審証人国沢庫太、同薜徳潤の各証言によると、本件手形は、受取人たる控訴人河西化工がこれを保管中、昭和三四年四月一四日頃訴外木村慈男がこれを窃取し、その第一裏書欄に壇に偽造にかかる控訴人河西化工代表取締役河西信雄と刻したゴム印、木製の同会社印ならびに同取締役印等を押捺し、同年六月二三日頃訴外加藤栄一を通じて訴外金融業株式会社関証に割引きを依頼し、同会社の代理権ある幹部職員たる国沢庫太は同会社を代理して、更に同手形の割引方を手形割引業を営む本件被控訴人林進堂に依頼し、ここに被控訴人林進堂はその依頼に応じて右関証のために本件手形を割引き、右木村からの白地式裏書のままその交付を受け、その後手形金取立てのため被控訴人林進堂の営業のための東京駐在員たる薜徳潤に同手形を送付し、同人はかねてから妻の兄の原治幸の名義で東京都民銀行と預金取引をしていたので、同銀行を通じて右手形金を取立てるため、第二裏書欄の被裏書人欄に原治幸と記載した上第三裏書欄に原治幸の記名押印をなし、被裏書人欄白地のまま同銀行に交付し、同銀行を通じて満期の日に支払のための呈示がなされたが、同手形は盗難の旨届出でがあつたことを理由に支払いを拒絶され、右薜に返戻され、次いで同人から被控訴人林進堂に返戻されたものであることが認められる。右経過によれば、本件手形の窃取者木村慈男が手形上の権利を取得し得ないことはいうまでもないが、同人から株式会社関証を経て、同関証から本件手形を割引いてこれを取得した被控訴人林進堂において、右木村が無権利者であることを知つていたと認めるに足る証拠はない。控訴人らは被控訴人林進堂が、手形流通過程の中間及び最終裏書人の調査をしなかつたことを以て、被控訴人林進堂の悪意を推認すべきであると主張するが、同人が故意に調査を避けたと認めるに足る証拠はないから、調査の有無は過失の有無の問題となるだけであつて、右調査をしなかつたことを以て直ちに右悪意を推認することは困難であり、また、丙第一二、一三号証原審証人山口政明の証言等により被控訴人林進堂の人格に疑うべき点があるとしても、それを補強証拠として同人の右悪意を認定することもまた困難である。また、丙第一号証(品触)が被控訴人林進堂方に配付され、ないしは、回覧に廻つたと認定するだけの証拠はなく、丙第二号証の一ないし三の手形無効公告、盗難届等もそれを載せた新聞や興信所報を被控訴人林進堂がとつていたと認める証拠がないから、それらによつて同人の悪意を推認することもできない。そこで、次は被控訴人林進堂が右手形を取得するにあたりどれだけの調査をしたかをみるに、原審証人国沢庫太の証言によつて成立の認められる甲第三号証の二、前記甲第五号証の二ないし四、原審証人国沢庫太、同江銘勝、同山本貢、同山口政明の各証言を総合すると、前記株式会社関証は約一〇年来同会社の扱う手形、特に比較的大口手形を被控訴人林進堂に割引いてもらい、このような取引を続けていたが、同会社の社員たる前記国沢庫太は昭和三四年六月二三日頃手形割引業を営む日栄こと加藤栄一から本件手形の割引依頼を受けるや、先ず振出人たる控訴人昭和電工の大阪支店経理課に電話して「東京のあなたの会社の手形があるが、あなたの店で確認できますか」と尋ねたところ、手形を持つて来てもらえば確認出来る」旨の返事を得たので、被控訴人林進堂に電話して、「昭和電工振出二三〇万円也の手形がある。但し振出は東京になつているが、大阪でも確認できるそうだからやつて呉れますか。」と依頼し、両者間で相談の結果、日歩四銭七厘で明日取引しようということになつた。そこで六月二四日右国沢は、右手形の最終裏書人が木村慈男という個人になつているので、同人が実在することを被控訴人林進堂に証明するため右加藤をして木村慈男振出の保証の意味の同金額の手形と同人の印鑑証明書とあらかじめ作成された領収証とをととのえさせ、これらと本件手形とを持つて被控訴人林進堂方に赴き、本件手形を同人に渡し、「私の方で確かめてもよいが貴男の方で金を出すのだから貴男の方で確めて呉れ」と言い、そこで、被控訴人林進堂は右国沢を待たせたまま、自己の事務所の事務員たる山本貢に右手形を持たせて控訴人昭和電工大阪営業所に行かせた。右山本は右営業所で当時同営業所総務課長補佐として経理関係を担当していた山口政明に面接して本件手形を提示し、この手形が振出されたものかどうか、印鑑に間違いがないかどうか確認してほしいと頼んだところ、同人から河西化工は得意先であるし印鑑にも間違いがないから多分本社が振出した手形であろうとの答えを得、疑わしい様子が全く無かつたので、直ちに帰つてその旨被控訴人林進堂に報告し、この間は約二、三〇分間であつたが、茲に被控訴人林進堂は右報告に基き割引いてよいものと判断し、右のように確認ずみであり、かつ割引依頼人たる株式会社関証とは長年月の取引を通じ一度も迷惑をうけたことがなかつたので同会社を信用していたが、念のため同会社名義の「万一印鑑相違其他形式上の不備により事故の生じたる場合は当社に於て責任を負担致します。盗難欺取による事故の場合も同然。」との記載ある保証書を徴した上、割引料として日歩四銭余りの割合による利息を控除し、二二五万八一七二円の現金を右国沢に交付し、これと引換えに本件手形を取得するに至つた事実が認められ、右認定をくつがえすに足る証拠はない。そして右林進堂が右認定外の調査、特に第一裏書名義人たる控訴人河西化工の裏書の点については、全くその調査をしなかつたことも、前掲証拠によつてこれを認めることができるのではあるが、当裁判所は、右認定の事実のもとにおいては、林進堂の本件手形取得につき、同人に重大な過失があつたと断ずることはできず、当審証人神頭吉弥の証言も右結論を左右するものではない。なお、前記甲第一、七号証によれば、本件手形第一裏書欄記載の控訴人河西化工の肩書地は東京都中央区日本橋大伝馬町一ノ二となつており、同所が右控訴人の本店所在地でないことは、本件記録添附の同控訴人関係会社登記事項証明書(記録二六丁)と対比して明らかであるが、参加人林燈山は、右控訴人の昭和二九年七月までの旧本店の所在地であり、かつ昭和三四年当時の東京営業所の在つた所は東京都中央区日本橋大伝馬町二丁目一の一であつたと主張し、この点は控訴人らの明らかに争うところでないから事実と認められる。そうすれば、右会社の実情を知悉している者が手形を取得したとか特段の事情が認められない限り、右程度の瑕疵を看過して手形を取得しても重大な過失があるとは言えない。その他手形面上通常の取引関係にたつ者をして一見疑念を生ぜしめ、更に詳細な調査と入念な注意を義務づけるような欠陥、瑕疵は、本件手形の場合、これを認めることができない。また、前記認定の事実関係において、被控人林進堂が割引依頼をうけてから手形を取得するまでの時間や保証書の差入れ、割引料について、それが特に異常な取引形態であると考えなければならない事情は認められない。そして割引依頼者国沢が当時手形事故を頻発せしめた不良業者であつたということは未だこれを認めるに十分でなく、右国沢の勤務する関証が、事業不振のため昭和三四年六月当時いわゆる整理の段階に入り残務処理中であつたことは前記甲第五号証の二によつてこれを認めることができるが、被控訴人林進堂が同じ大阪の同業者で、従来取引関係があつたからと言つて、右の事実を知つていたと直ちに推認することは早計であつて、この点証拠上明らかでないが、仮りに右林進堂が右事実を知つていたとしても、残務処理中の業者が割引きを依頼して来た手形を特に怪しまなければならないという事情は認められない。更に、有価証券業者といえども、手形無効広告、盗難届等を登載した新聞や興信所報を、必ず見ておかなければならないという法令上、信義則上ないし慣習上の注意義務は、これを課せられてはいないから、被控訴人林進堂が本件手形取得にあたり、これらの記事に気付かず、また調査をしなかつたからといつて過失があるとはいえない。また、前記兵庫県警名義の盗難被害品に関する「品触」についても、それが右林進堂において当然これに注意すべき状態におかれてあつたとの事実は、丙第一四号証の一、二や当審証人久徳巌の証言によつても、これを認めるに十分でないから、被控訴人林進堂が右品触に気付かなかつたとしても重過失があるとはいえない。そのほか、前記甲第五号証の三及び原審証人国沢庫太の証言によると、右国沢方に割引を頼んで来た前記加藤栄一は右国沢に対し「この手形は街の金融屋から呈示(振出人や裏書人に対する照会の意味)をしないでほしい」旨述べた事実が認められるが、右国沢がこのことを被控訴人林進堂に伝えた証拠はなく、かえつて前記認定のように、右国沢は右林進堂に対し振出人についての確認方法を説明しているのであるから、右加藤が右のようなことを国沢に述べていても、それを以て、右林進堂に重過失ありとする理由にならない。

かくして、被控訴人林進堂は株式会社関証の代理人国沢庫太から本件手形を取得することによつて、手形法七七条、一六条二項により、振出人に対する手形上の権利を取得し、その後の経過は前記認定のとおりである。したがつて、右林進堂は満期後原治幸名義の白地式裏書のまま本件手形の返戻を受け再びこれを所持するに至つたのではあるが、それなるが故に右林進堂が悪意者として本件手形上の権利を取得しないということにならないことはいうまでもなく、この点に関する控訴人河西化工の主張は理由がない。

そこで次に控訴人昭和電工主張にかかる供託による手形上の債務消滅の抗弁について検討する。

成立に争いのない甲第一号証の附箋、乙第三号証の二、同第四号証、同第五号証の一、二、同第六号証によると、控訴人河西化工は本件手形につき昭和三四年六月一九日東京簡易裁判所に対し公示催告手続を申立て、同裁判所は同年七月一〇日付官報で右手形所持人は昭和三五年二月一九日午前一〇時までに同裁判所に権利を届出ると同時に手形を提出すべき旨公告したこと、昭和三四年七月三一日(満期)に本件手形が支払場所に支払いのため呈示されたこと、同年八月八日控訴人河西化工は控訴人昭和電工に対し前記公示催告手続開始を理由に本件手形金を東京法務局に供託すべきことを請求し、よつて控訴人昭和電工は同年八月一一日東京法務局に対し商法五一八条の規定にしたがい金二三〇万円を供託し、その際供託書には供託物の還付を請求し得べき者として控訴人河西化工を記載したこと、及び、同年一〇月二二日に至り前記原治幸が東京簡易裁判所に本件手形を提出して権利の届出をなし、また、昭和三六年四月一八日に至り、控訴人昭和電工は控訴人河西化工の請求により、前記手形金二三〇万円に対する昭和三四年七月三一日(満期)から同年八月一一日(前記供託日)まで年六分の法定利息金四五三七円を前回同様に供託していること、がそれぞれ認められ、また、被控訴人林進堂自身が東京簡易裁判所に権利承継の届出をしたのは昭和三五年七月であることは、その自認するところである。

一般に、商法五一八条の規定による供託に弁済の効果があるかどうか、あるとしてもその効果が公示催告申立人に対してのみしか及ばぬ相対的なものかどうかは、解釈に委ねられるところであるが、商法五一八条は公示催告手続の開始のあつた場合、右供託の方法以外に、公示催告申立人が相当の担保を供した上で債務者に対し証券の趣旨に従つた履行を請求することができるという方法も認めており、この後者の方法による場合は、その債務の履行による弁済の効果は、当該履行を受けた者との間でのみしか生じない相対的なものと解せられるが、前者たる供託の方法は、その供託が適法になされるかぎりその弁済の効果を絶対的に生ずるものと解するを相当とする。ただし、右法条に基く供託は、公示催告期間中の証券目的物の毀滅、債務者の資力減少を防止することを目的とし、しかも義務的になされるものであるから、その趣旨にかんがみ、一般の弁済供託のように、供託者において取戻し自由の可能性はなく、拘束的なものと解すべきである。然らば、若しこの場合供託による弁済の効果が公示催告申立人との間にのみ生ずるならば、証券上の債務者は、証券喪失について何らの責がないにも拘らず、本来は一回限りの履行によつてその義務を免れ得るのに、この場合に限り、その履行たる給付は低廉な供託金利の附せられるだけで凍結され、しかも絶えず証券喪失者以外の者からの請求の危険にさらされ、場合によつては更にその請求にも応じなければならないという結果になり、これでは証券上の債務者の地位はあまりにも不安定、不利益に陥り、また手形法四二条、民法四九四条後段の規定による供託との権衡調和を失することにもなるからである。したがつて、商法五一八条の一般的な解釈につき、控訴人昭和電工の代理人の主張するところは、まさに正論といわなければならない。

問題は本件の場合、控訴人昭和電工のなした供託が、いずれも、本件手形の適法な呈示があり、手形の所在が判明した後になされている点にある。思うに除権判決制度における公示催告手続では、証券の所在不明ということが公示催告申立の実体的要件であり、すでに証券が特定人の所持にあることが判明した場合には、証券喪失者はその者に対して証書の返還を請求すべきであり、除権判決によりこれを無効とすることができないのであつて、したがつて、この場合には、証券喪失者はもはや公示催告手続を追行する権利を失い、商法五一八条の定める供託を請求する権利もなくなり、証券上の債務者もまた右法条による供託を適法になすことができなくなるものと解すべきである。実質的に考えても、右のような場合に、証券上の債務者として、証券の喪失者に現所持人とのいずれが実質的権利を有するのか相当に疑わしいときは、民法四九四条後段による供託をなすべきであり、同供託については、「過失なくして債権者を確知すること能わざるとき」という要件が附せられているのであつて、たまたま公示催告手続が開始せられているからといつて、商法五一八条による供託をえらび、右要件を潜脱することは許されないと考える。すると、本件の場合、控訴人昭和電工がなした供託はいずれも商法五一八条による供託として不適法である。

控訴人昭和電工は、かりに右供託が商法五一八条の供託として不適法であるとしても民法四九四条の要件を具備し、結局弁済効があると主張するようであるが、右両供託は供託原因を異にし、供託通知その他の点において手続上相違があり、無効供託の転換を認めることは、手続の安定を害し許さるべきではない。

かくして、本件手形上の権利を取得した被控訴人林進堂は、右権利を失うことなく、当事者として本件訴訟を追行して来たのであるが、同人が昭和三八年五月二九日死亡したことは当事者間に争いがない。

しかしながら、被控訴人林進堂については表記のとおり訴訟代理人三名が委任をうけて訴訟を追行しているので、訴訟手続は中断せず、右代理人らは、実質は右林進堂の一般承継人らのために、しかし形式は従前の当事者林進堂の名において訴訟を追行し、かつ判決を求めることが可能であり、かつ許されるところである。

しこうして、当裁判所の中華民国駐大阪総領事館に対する調査嘱託(昭和三九年一〇月一一日付)の結果によれば、被控訴人林進堂には養子林燈山が居ることが認められ、同人は他の一般承継人らと共に林進堂の権利を一般承継したところ、記録によれば、同人は昭和三八年一一月二二日その余の承継人の権利全部を譲受けたことを理由に、昭和三九年九月四日付書面を以て民事訴訟法七三条七一条による訴訟参加を申立てたのであるが、前記嘱託の結果ならびに当裁判所の前記総領事館に対する昭和三九年四月一〇日付嘱託の結果、同結果により成立の認められる甲第九号証の一及び当審における林燈山の供述、同供述により真正に成立したと認められる甲第一一号証の一、成立に争いのない同号証の二、三、を総合すると、右参加の理由たる事実、すなわち林進堂の遺産は右林燈山のほか、林楊腰、林梅、林泰山、林富山、林華山、林周勉、林嵩山、林富美、林富郷、林湘雲において共同相続したところ、林燈山を除くその余の一〇名は昭和三八年一一月二二日本件手形上の権利についての相続分をそれぞれ林燈山に譲渡し、同月二五日その旨控訴人昭和電工に通知した事実が認められ、参加人林燈山が現に本件手形を所持していることは弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。

すると、控訴人昭和電工は参加人林燈山に対し本件手形金二三〇万円及びこれに対する満期の日たる昭和三四年七月三一日からその支払いずみまで年六分の法定利息を支払うべき義務があり、また右債権がそれぞれ自己に帰属すると主張して争う控訴人河西化工と参加人との間において、右権利が参加人に属することを確認すべきである。

よつて、右参加人への権利移転前の状態において権利関係を判断した原判決はこれを変更し、参加人以外の一般承継人らが、林進堂の名において右移転前の権利の保育を主張する請求をすべて棄却した上、参加人の請求を認容し、民事訴訟法九六条、九二条、九三条、一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 乾久治 岡部重信 安井章)

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